直線上に配置
Blog  山科サロンコンサート プロフィール

各紙の批評より

 笠原純子

 ……  ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽アンサ
 ンブルの1つ「フィルハーモニア・カルテット ベルリン」
 の京都公演・・後半はシューマンのピアノ五重奏曲で
 ピアノは笠原純子。これがとても良かった。音響的にも
 構成や表現の上でも真に対等で内発的なアンサンブ
 ル力を発揮した。経過句などの緩急の扱いにもセンス
 を感じさせたし、第2楽章のアジタートの部分や3楽章
 の急速な音階パッセージも響きに丸みが保たれて心地
 よく前進。終楽章ではフーガとともに高揚感あふれるコ
 ーダをリードしていった。        (関西音楽新聞)

 ……  大胆で繊細なドビュッシー・・音は冴え冴えとし
 てどのようなタッチで、どの程度の明晰さやぼかしを
 入れるのか、曲想をどういうタイミングで変化させていく
 か、常に狙いがはっきりしている。迷いがない。演奏自
 体は丁寧で、たっぷり時間をかけて一音ずつ読み解い
 てゆくのだけれど、曲に思わせぶりな間合いを取ること
 はなく、一曲が終わると、サッと次へ切り替えるので、
 曲と曲とのコントラストがはっきりする。繊細さと、映画
 のモンタージュを思わせる大胆さのバランスが絶妙だっ
 た。 (コンサートレポート 音楽評論家・ 白石知雄氏)
 
                    

……  笠原は現代でもピアノ作品中で難曲といわれているブラームスのパガニーニの主題による変奏曲作品35イ短調(全2巻)を通して演奏した。各変奏を一曲一曲柔らかみのある音でていねいに弾いてゆき、背伸びをしないで自分の柄に合った弾き方をしていたのが印象に残った。ややもするとブラームスはピアニストによって音が重くなったり、肩ひじを張った堅い音であったり、構えだけががっちりとして無味乾燥になったりする演奏に出合うことがあるが、笠原は、気負い過ぎず、音の流れを素直に受け入れて、フレーズを唱うようにつとめ、美しい響きを保っていた。そして音楽は感性豊かに潤っていた。音楽にじっと耳を傾けて一音一音を大切に弾いてゆく誠実さと優しさをこの曲で持ち続けられたということは、笠原のピアニストとしての資質がなかなか得難いものであることを物語っている。           (ムジカノーヴァ誌)

……   キャンドルライトの輝きがゆらめくように、モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番が、笠原純子によって、演奏された。この若いピアニストは聴衆に語りかけ、贈るものをもっている。 −華麗なピアノ演奏テクニックと音楽性、モーツァルトの音楽の本質すべてへの深い理解−。我々は彼女の、感受性高く、少しもの悲しい、そしてときにはユーモラスな茶目っ気をみせながら非常に活気にあふれたモーツァルトを聴くことができたのである。                     
         (ロシア・インテレクチュアル・カピタル誌 )
 

 ……  聴衆は我を忘れてうっとりとなった。演奏中のその価値を認める静けさと、その後の割れるような拍手。非常に熟練したテクニックのもと、その深い音楽性は驚嘆に値するものだった。大変な流動力を持ったこのピアニストの演奏は、どこかある所で角立つことが決してなく、自然なリズムで展開し、豊かな感受性と、作品の内面性を表現した。誰一人としてのがれることのできない説得力。 (フランス,ロレーヌ新聞)

……  笠原純子は、若いが、すでに素晴らしい表現の可能性を持った芸術家。成功に満ちたキャリアを築くために必要な資質を持った芸術家。演奏のしなやかさとヴィルトゥオーゾ性優れた技巧を自在に操った。    (フランス,ロレーヌ新聞)

……  生き生きした適度な歌心を盛り込んだ美しい表情を聴かせた。作品に合わせて音に強さを加え、楽想に応じた気分の変化も巧みに余裕さえ感じさせる充実した内容。汚い音がない、コントロールの良さ。モーツァルトも素直でいて表情豊か。ショパンは一段と華麗にそしてロマンティック。知的な表現でいて豊かな音楽性が感じられ、楽しめる演奏。
                            (音楽の友誌)


……  国際的な経験をもち、また世界的に招待されているピアニスト笠原純子が求めるところの多いぜいたくなプログラムでリサイタルを行った。そこで聴かれたものは自身と聴く者に対して決して軽々しくならない一人の芸術家であった。彼女はどの作品にも個人的な推進力を満たす。彼女のスタイルはグッとつかむような力強さをもち、情熱的で時には嵐のように激情的でさえある。文字どおりピアノによる冒険へと、一流のテクニックと磨きをかけられた音色の幅をもって飛びこみ、最初の一音から聴衆を彼女の思考世界、作品に対する見解へと包み込む。彼女は、全く耳新しい、しかし徹底して考えられ、妥協なく奏される解釈― 真の感情そのものであり、一瞬も感傷的にならないもの ―によって聴衆を魅惑しつづけた。スクリャービンの前奏曲作品11から選ばれ賢く配置した曲を、彼女は細密画のように愛情深く、そして大きな一つのクレッシェンドのように描き、最後の6番の雷のとどろきのような和音で嵐を吹き起こすまで、いわば広大なタイガの地へと聴く者を運び去った。ベートーヴェンの有名なハ短調ソナタ“悲愴”では、29歳の作曲家が、せまりよる聴力の喪失を目前にして音に表したところの、内なる精神的打撃が大いに聞かれた。第1楽章は、前にと圧迫するエネルギー、力、勢いと劇的緊張をもち、嵐と切迫の楽章であった。アダージョの歌うような、静かで長く張りつめた調べのあとの、華やかな花火を伴ったようなロンドは、独奏者の名人芸だけではなく、荘重に苦しみに対して対抗する表現として感じ取られるものであった。ショパンの最後の大きなピアノ作品、ポロネーズファンタジー変イ長調作品61は笠原純子の緻密に形づくることのできる構築力手腕によってほとんど交響的な作品として表現された。シューマンの“クライスレリアーナ”作品16も勢いのあるテンポ、激しい迫力をもって演奏されたが、それもまた、ピアニストの並外れたテクニックと造形力を明確に示した。彼女は、ドビュッシーの2曲のアンコールにおいてもまた、鍵盤を弦楽器のように奏し、そしてまた音量の幅の限界に苦もなく達することができたが、いったい彼女がこれらの力をどこに隠していたのかと聴衆は唖然として自問するのであった。   (ドイツ、 ラインプファルツ新聞)

 
……  日本・大阪出身のピアニスト笠原純子は最もレベルの高いピアノコンサートを行った。 (ドイツ, ラール新聞)

……  第一音から聴衆を心酔させた。・・真珠のような音の響きでもって、演奏は軽やか、優雅、そして流麗。
                   (ドイツ バーデン新聞)

……  笠原純子は人をひきつける響きでもって、みずみずしくそして澄んだモーツァルトを演奏した。彼女は、確固さと卓越した様式によってこの曲を浮き彫りにした。(ドイツ, エルベ紙)

……  このピアニストは熟達した名人芸と感情細やかな演奏によって聴衆を悦ばせ、そして、彼らから心からの喝采と最上のコメントを得た。 (エクアドル, エル・メルクリオ新聞)


… 笠原純子の来演は、市の文化生活にとって、大きな贈り物であった。世界的エリート・・その前評判は、この夜にも再確認された。第一曲目からすぐに彼女は、意のままに操ることのできる、繊細に調律された表現の幅を証明してみせた。多面的でニュアンス豊かな演奏、見事に彫琢されたテクニックとつかみかかる力。彼女の演奏スタイルは、瞬間に消え去る音楽への妥協の無さといえる。ロマンティックにおぼれることを意識的に避け、濁ることなく流れ続ける演奏。笠原純子は、ある一定のテンポの中で堅苦しくなることなく、ルバート好きの聴衆をも納得させるほど表情豊かな音楽を表出し、より大きな感激を聴く者にもたらしたのであった。
                  (ドイツ・バーデン新聞 )

…… 光沢のある宝石のように磨きぬかれたピアニスト・・。          (ドイツ・ザールブリュッケン新聞)
  
……   この女性の魂深くには、活火山が存在するのだろうか。若く才能ある日本のピアニストのラヴェル・ピアノ協奏曲の演奏は、そのような印象を与えた。笠原純子は外面的にはとても繊細で華奢に見えるけれども、圧倒するような力強い手でピアノの鍵盤を支配し、長調の音を垂直に、天空に、作曲者に向かって飛翔させ、短調の音は、聴衆の心の中にまっすぐ浸透しながら、聴衆を包み込む。そして、彼女は、本当の感銘を与えたのだ!我が経験豊かで洗練された聴衆は息を殺してコンチェルトを聴いた。そして、長く心からの盛大な喝采で報いた。
  (サンクトペテルブルク・インテレクチュアル キャピタル誌)

……  3つの楽章を通して笠原純子のラヴェル美観がそのピアノ表現を通して示された。ラフマニノフのソナタは、笠原純子の個性が最も強く発揮された演奏であった。彼女の強さと激しさが演奏を通して示され、奏者の技法と内面性との統合体としての演奏(実像)というものがもっとも如実に示され、この日のリサイタルの棹尾を飾った。   (ムジカノーヴァ誌)




 
……   二人の若い芸術家たちは、共に,完全な調和と個々の大きく、経験豊かな名人性を示した。
              (ドイツ、ケレンターラー新聞)

…… ショパン3つのワルツはきれいな弱音と洒落たルバートで楽しめた。ショパン晩年の内面の陰とそれを振り払うかのようなワルツの躍動感との対比。スクリャービンのワルツ作品38は、神秘和音の響きの特徴がよく生かされ、スクリャービンらしいきらめきがある。後半の次々と転調してゆく気分の移ろいも味わい深い。舞曲作品73は作曲家晩年の無調的な、あるいは複調的で自在なテクスチュアの中で、響きの色合いが絶妙に変化してゆく。その不思議な浮遊感がよく捉えられていた。
                       (関西音楽新聞)

…… 何よりも、笠原の作曲家への熱い共感を確かに伝えた。                     (音楽の友誌)

…… ありふれた解釈に一石を投じる。・・技術や音色を磨くだけではおもしろくないし限界がある。ではどうするか、笠原純子が弾いたリサイタルは、貴重なヒントを得る機会となった。・・スクリャービン晩年の抽象的な音の世界を浮かび上がらせた好演。幻想曲作品28も、甘い響きが削ぎ落とされ、神秘主義時代の曲かと錯覚するほどだ。この作曲家の特徴を浮き彫りにする・・ひとつの発見であった。                 (ムジカノーヴァ誌)

 
……   その夜第2部の女王は、笠原純子であった。彼女はショパンの協奏曲ホ短調作品11を演奏したが、Junkoと Frederick(ショパン)は、まるで完全に理解し合っているかのようであった。この偉大な作品の愛の感情・優しさ・情熱が、感性の高い演奏者の心によって反響される。ショパンと同じくらいのヴィルトゥオーゾを念頭に書かれたこの作品に対し、ピアニストは、秀れた名手であることをも示した。ショパンのこの曲は言うまでもなく、今までに数多く、そして様々な解釈で弾かれてきたが、笠原は彼女“自身”のショパンを創り出すことに成功した。その演奏は、よくあるような、腕力にまかせたやかましいffや単純なクライマックスによってではなく、この華奢な女性の内からみなぎる意志とあふれ出るパワー、そして甘く官能的で優雅な叙情とによって、曲の真価を聴衆に理解させたのである。余計な感傷抜きの、信頼に満ちた親密感。華やかな演奏テクニックを伴った洞察力と、美的な優雅さが、彼女の演奏を特徴づけている。…笠原純子は、世界で高い評価を受けてきたサンクトペテルブルク伝統の“軽やかな指”と、ヨーロッパ文化への理解・会得による真の音楽文化の気風を持つ。以前にも彼女はこのシンフォニーオーケストラと共演したが、今回は、世界有数の指揮者で、同オーケストラから素晴らしい響きを掴み出すR・マルティノフを共演に得たのである。
            (ロシア・サンクトペテルブルク誌 )



笠原咸子

…… この夜温まる演奏をしたのはフルブライト留学生でイーストマンに学んでいる小柄なピアニスト水谷咸子であった。ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第二番を体に似合わない力強さで演奏し、作品のもつ素晴らしい詩情を表し得た。最後のコードを弾き終ったとき聴衆は皆立ち上がった・・・
(米国・ロチェスター デモクラート アンド クロニクル紙)

<素直で自然な響き>
…… ‘モーツアルト ピアノ協奏曲第26番’の笠原咸子は堅実な中堅。てらいも誇張もなく、ひたすら管弦楽に溶け込んだ演奏。その素直さが、自然に色彩と活気を呼び込んで好演となった。この辺はキャリアの力だろう。
                         (毎日新聞)

<音色も豊かで鋭い集中力>
…… ピアノではラフマニノフ、リストなどは女性向きとは言えぬが、それにしては珍しく女性の名演が出た。リスト‘ピアノ協奏曲第一番’をヴィエール フィルで弾いた笠原咸子だ。この曲はリストらしく華麗な名技を要求するが、彼女はよく指が動き、素晴らしい冴えを見せた。ことさら華麗さをあおろうとせず、また意識して端正に作っていくでもない。それでいて音楽に必要な条件はすべてそろっている、という演奏だった。感性や思考が磨き抜かれている証拠だろう。宇宿允人指揮のヴィエールとよく息が合い、音色の豊かさ、鋭い集中力で陶酔を引き出した。彼女は関西の中堅。今回は明るさと華やかさを備えた。 
                          (毎日新聞)

 …… 笠原咸子が独奏したリスト‘ピアノ協奏曲2番’は、大曲負けしても仕方ないほど量感のある重い曲だが、彼女は持ち前の一途な激しさと、音色に心を配った細密さも加え、スケールの大きいロマン的情趣をかもし出した。   (毎日新聞)

<受けた詩的情緒溢れたショパンに感動>
…… モーツァルトのソナタイ短調K310から演奏が始まった。歯切れの良い前向きのリズム、明確なタッチなどがさわやかな気分にさせる。第2主題の鮮やかな変身ぶりは素直だ。第2楽章の深い情緒に触れて心が落ち着く。第3楽章イ長調の部分での見事な転調ぶりにブラヴォと叫びたい。続くシューベルトの幻想曲ハ長調≪さすらい人≫D760は、音づくりから大きく構え、力で屈服させようと正々堂々と四つに組んで立ち向かった。その奮闘ぶりは誠実で情熱的・・第2楽章でみせた内面の描出など音楽の成熟度は充分・・。休憩の後、ショパンのバラード全四曲が演奏された。彼女は、柔軟に変化するタッチと自然なリズム感、のびやかなフレージングなどを駆使して、詩的情緒に溢れたショパンを存分に楽しませてくれた。この四曲を聴いているうちにショパンー笠原―私という三人が共通するある思念もしくは感情で結ばれているという強い共感を実感して心から感動してしまった。このようなショパンなら何時でも歓迎だが、そう聴けるものではない。
                         (ムジカノーヴァ誌)


……  ショパンによるリサイタル。打鍵が強いにもかかわらず決して叩いた音ではなく、また低音が豊かに響くため、バランスよく楽器が鳴るのが笠原のピアノといえるだろう。べーゼンドルファーを乗りこなした演奏。音楽もいわゆる男性的な性格で、当日のメインであった練習曲では、各曲の音楽の大きな呼吸を捉え、決して感傷に陥らず、かといって抒情性を失わないという、きわめて説得力のある演奏を展開した。しかも根底のところで熱い。またショパンの楽曲に潜むポリフォニーをなにげなく示してハッとさせるなど、構造に対する配慮も冷静で、誰かが示したような、あるいは一般に流布したショパン像を身にまとうのではなく、笠原自身が永年の演奏から感じ、そしてそれを凝縮したショパン像を明確に提示。ベテランの演奏を聴くことの意義を納得させてくれた一夜。
                        (音楽の友誌)

 
……  最初に弾かれた「夜想曲」2曲で、ショパンへの笠原の姿勢は既に明確だった。主役然とした右手の堂々たる歌の背後で、バスと内声は、表情を殺し、有能な召使いのように黙々と和音を響かせる。音の身分制度と呼びたくなる、優雅で厳しい演奏なのだ。「練習曲」全曲においても、このアプローチは変わらない。勿体ないと思うくらい、技術や苦労をひけらかさない、潔い演奏だった。全24曲で、厳格な規律を貫き通した意志を讃えたい。これは、姿勢を正して受け止めるべき、端正で貴族的なショパンだ。      (ムジカノーヴァ誌)

……  毎回大変精力的なプログラムでリサイタルを行なっている笠原咸子が、今回はすべてベートーヴェンのソナタ、それも、精神力とスタミナの持続が要求される曲目で臨んだ。心持ち速めのテンポで始まった「月光」。全体を俯瞰し、大きな流れに身を任せたような手馴れた勢いや心地よい和声感がある。「熱情」は大胆自在なテンポでかなりロマンティックな表現に踏み込んでおり、豊かな歌に溢れている。後期のソナタには慈愛に満ちた表現や若い人には到底真似できない風格もあった。作品111の第1楽章では、立派な柱の通った建築物のような力強い構築性を示し、第2楽章のアリエッタの主題は、愛情深い音色で精神性の高さを見事に表出。表面的に整った美しさや内容のない華やかさばかり求められがちな現在、このように心に染み入るような表現の深さをもったピアニストは尊い。今後もぜひ充実した演奏を聴かせ続けてほしいと切に願った。                (ムジカノーヴァ誌)



 
……  明晰度の高い音色の故だろうか、「ワルツ」では、粘りつくこともなく爽やかな流れを作っていた。「ヘンデル変奏曲」では洗練された響きが、各変奏の凝縮した曲想を展開。特にダイナミックなアクセントで変奏の位相変化を特徴付けるが、全体としてはチェンバロのような軽快な流れが、ブラームスの透徹した世界を浮き彫りにした形だ。後半に置かれたのは「ソナタ第3番」。情熱的な内面を提示する第1楽章はまさに笠原特有の音色で高い想いへと誘導される。強音も威圧的でなく、深い問いかけとなっていたし、それと対照的な第2楽章での弱音の巧みさは曲全体の内容を密度の濃いものにする一因となった。この楽章と“対”になるように演奏された第4楽章には悲しみ、あるいは苦悩の影が濃厚に加わっていた。これは第1楽章と第5楽章の対比でも感じ取れる構成だ。知的で、高度な技巧を感じさせながらも暖かさを失わない。好感の持てる演奏である。     (音楽の友誌)

……  関西で活躍する笠原咸子のリサイタルは、初期中期のブラームスを集めた渋いプログラムながら、ベテランの味を聴かせてくれた。「ワルツ」第2番はテンポの揺れと楽想の対比に工夫があった。「ヘンデル変奏曲」では、全体としては手堅い造形で、この大作の広い奥行きを明らかにする。たとえば、第5変奏のデリケートな内声を伴うブラームスらしい旋律、第13変奏の葬送風ミノーレ、第25変奏の華麗な切迫感、終結フーガの壮大な広がりなどの表現は特筆に値する。圧巻はメインの「ソナタ第3番」。冒頭、遅めのテンポで和音を明快に響かせて始まる。第2主題の優しい表情から、激しい楽想への感情の昂ぶりは素晴らしい。老練な若僧の顔が随所に現れる。第2楽章がまた美しい。主部の旋律もさることながら、その中間の高音域は、光が明滅するように繊細に音色が変化して、とてもきれいだ。終楽章の厚みのある第2挿入句やフーガ風コーダの高揚も見事だった。 
                      (ムジカノーヴァ誌)

…… 「ショパンの午後」と銘打たれた演奏会は、《幻想曲》作品49に始まる。笠原の演奏には良い意味での「勢い」があった。下手をすると同じところを行きつ戻りつしている印象を与えかねないこの曲で聴き手をぐいぐい引っ張っていく。かといって、音楽が上滑りしているわけではないのだ。続く作品10と作品25の2つのエチュード集でも、そうした「表現の意志」とでも言うべきものが全編を貫いており、圧倒される。作品10でいえば、とりわけ第1、4、12番などが聴き物だった。また、作品25では、何と言っても最後の3曲、第10〜12番が圧巻であり、この曲集とプログラム全体をきちんと締めくくるものだった。
                      (ムジカノーヴァ誌)


 
笠原純子・笠原咸子(デュオリサイタル評)

……  ピアノデュオは世界的に夫婦や兄弟姉妹もあるが、母娘2世代の名コンビが関西で生まれたことは快哉。 
                          (関西音楽新聞)

……  叙情的な音景が卓越したピアニズムで表現された。・・さらなるピアノの可能性を求める壮大な楽想に捉えられて痛快だった。                (関西音楽新聞)

……  笠原純子が積極的に音楽をリードし、それに笠原咸子のピアノがうまくかみあっていた。   (ムジカノーヴァ誌)

……  親子のデュオの特別な魅力と、それぞれの奏者の特質が明確に届く。上滑りのない地道な運びが好感。中音域の音の質感は、両者さすがに瓜二つだ。音の品格を保つ取り組み。隅々まで小揺るぎもしない安定感は行き届いた準備を伺わせ、レガートな音型の均質感は見事。さらに決して汚れない強音も壮快だ。ここでも表現としては、くどくなることを慎重に避けており、趣味の良い抒情がていねいに現出する。2人の呼吸が、まさしくユニゾンに聴こえるデュオだ。
                            (音楽の友誌)

              ……  リサイタルはますプーランク「シテール島への船出」と「仮面舞踏会によるカプリッチョ」で軽やかなエスプリ(精髄)に満ちた演奏を披露し、続いて、レーガー「ベートーヴェンの主題による変奏曲とフーガ」で12の変奏とフーガで構成されるドイツの新古典主義的な変奏曲を笠原ピアノ・デュオは熟達した技巧と幅広い表現力によって見事に弾き抜いた。後半、スペイン出身の作曲家インファンテの「アンダルシア舞曲」が取り上げられ、ピアノ・デュオはアンダルシアの《律動》《情感》《風情》の曲想をそれぞれによく活かして表現した。リサイタルの掉尾を飾る作品として取り上げられたラフマニノフ「組曲第2番」は、力強い行進曲風の《序曲》、優雅な《ワルツ》、抒情的な《ロマンス》、軽快さと輝かしさをもった《タランテラ》をピアノ・デュオはまさに全身全霊で弾き終えた。起承転結が素晴らしいプログラム、そして、十数年にわたる笠原母娘の実に情愛に満ちたピアノ・デュオは、ピアノの硬軟の音色を自在に織り込んだ熟成した味わい深い演奏を通してピアノ・デュオの本質を伝え、ピアノ・デュオの一つの理想像を実現した非常に意味深いリサイタルであった。
                     (ムジカノーヴァ誌)